父が逝った日 その1はこちら
冷たい父
帰ってみると、父が冷たくなっていました。
母が言うには、朝ごはんは一緒に食べたけど
お昼の支度をしても横になってテレビをみていたので
「お昼食べないの?」と聞いたら
「いらない」と言って食べなかったそうです。
それが最後の会話だそうです。
その後寝てしまって、16時ころになっても起きないので声をかけたのだそうです。
しかしそのときはもう、冷たくなっていたと…
それを聞いても、私はまだ信じられません。
父の肩を揺すってみたり、冷たくなった手をたたいてみたり、声をかけてみたり。
「お父さーん、起きてー」
無理やり目を開けてみたり。←ひどい私
※自宅で亡くなった場合、遺体に触れてはいけません。
するとここで、急にお腹が痛くなりました。
こんなときに造影剤が!
襲いかかる腹痛。
ワイシャツにステテコ
トイレから出てきた私は上司の言葉を思いだして
かかりつけのお医者へ電話をしました。
かかりつけと言っても、月に一度薬をもらうために通っていただけで
特別なお付き合いもありませんし
最後に行ったときは、母が代理で薬をもらいに行っただけです。
普段、往診などしている先生でもありません。
来てくれるとは思えない。
でも、ダメ元で電話してみました。
母が言っていた今日の状況を説明し
「お忙しいところ申し訳ないのですが往診で診ていただけないでしょうか?」
とお願いしてみると
先生はあっさりと承諾してくださいました。
「先生来るって、、、」
と母に伝えると、
しょんぼりしていた母が
急に部屋をかたづけはじめました。
(--)?
そして父の着替えを手伝えと言うのです!
父は、家にいるのに何故かおしゃれなグレーのワイシャツを着ており、
下はステテコと、真夏だというのに冬物の靴下を履いていました。
今思えば、冬物の靴下は多分足が冷えて辛かったんだと思います。
このコーディネートを決めたのは、もちろん父自身です。
亡くなる当日まで父は、自分で着替えもしていましたから。
しかし、そのアンバランスな恰好を
母は他人に見せたくなかったのです。(ええかっこしい)
と言っても、父をむやみに動かすのはよくない気がして
先生が診てくださるんだし
ありのままの状態を見せないといけないんじゃ…
ありのぉ~ままのぉ~♪歌っている場合ではありません。
※それより自宅で亡くなった場合、遺体を動かしてはいけません。
「そのままにしておこうよ。」( ノД`)
と言っても、人の言うことを聞くような母ではありません。
どうしても着替えさせると言って、スラックスとベルトを持ってきました。
二人で冷たくなった父の足を持ったり、腰を浮かせたり
早く早く!と言いながら、ドタバタ
するとまた
こんなときにまた、造影剤が!
ああ、下剤をたくさん飲むんじゃなかった。
「あんた!何してんの?」
母に怒られながら私は隠ぺい工作を強要されたのでした。
ワイシャツにスラックスで畳に横になって昼寝って
不自然極まりない状況です。
しかし、母は聞きません。
遺体に外出着を着せてどうするんだ。。。
※繰り返しますが自宅で亡くなった場合、遺体を動かしてはいけません。
医師の訪問
ドタバタしながらもなんとか着替えが終わり
先生が来ました。
そして、妙に余所行きのような恰好で横たわる父を見ても
先生は冷静に「失礼します。」と言って
父のそばに座り、体に触れて、脈をみて、
瞳にライトを当ててみて、腕時計を見て
「お亡くなりになってます。●時●分。確認させていただきました。」
「ご臨終です」
ご臨終って本当に言うんだ…とか、
頭の中はどうでもいいことに関心してましたね。
そのあと、何か先生がいろいろおっしゃっていましたが
頭の中は真っ白で、先生が何を言っていたのか覚えておりません。
最後に、明日の朝までに死亡診断書を書いておきますので
取りに来てください。とおっしゃいました。
まるで現実味がなく、夢でもみているようでした。
悲しいという感情が現実に追いついてないのです。
悲しんでいる場合ではありません。
誰にどこに連絡すればいいのか
大至急で考えなければいけませんでした。
お腹の痛みなどどこかへ吹き飛びました。
親族、、近所、葬儀屋さん
あちこちに連絡して、あちこちからたくさんの人が訪問してくださいました。
とてもとても長い一日でした。
悲しいという気持ちが押し寄せてきたのはお葬式が終わってからでした。
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